企業の成長の証でもある、従業員数10人という節目。
しかし、この「10人の壁」を越えた途端、法律上の義務が新たに発生し、これまでにはなかった労務トラブルに直面する経営者様が後を絶ちません。

社会保険労務士として15年以上、50社以上の中小企業様と向き合ってきた私、佐藤が断言します。
このタイミングでの労務管理の見直しが、会社の未来を大きく左右します。

本記事では、独立開業10年の経験から得た知見を基に、単なる法律の解説ではありません。
「なぜ今対策が必要なのか」「現場で本当に起きているトラブルとは何か」そして「企業と従業員を共に守るために今すぐ何をすべきか」を、実例を交えながら具体的にお伝えします。

なぜ「従業員10人」が労務管理の重要な節目なのか?

法律が定める「事業場の規模」という考え方

なぜ、多くの法律で「従業員10人」が区切りとされているのでしょうか。
それは、労働基準法をはじめとする法律が、「組織としてのルール整備が必要になる段階」だと定めているからです。

従業員が数名のうちは、社長の目が隅々まで行き届き、いわば家族的な経営が可能です。
しかし、10人を超えると、そうはいきません。
法律は、この規模の事業場を「一定の組織」とみなし、経営者の個人的な管理から、公平なルールに基づく客観的な管理へと移行することを求めているのです。

これは、会社を守り、同時に従業員一人ひとりを守るための、国が定めた最低限の仕組みづくりと言えるでしょう。

経営者の目が届きにくくなる組織の変化

法律論だけではありません。
私の15年以上の実務経験から見ても、従業員が10人を超えたあたりから、組織には明確な変化が訪れます。

これまでは社長と従業員が直接コミュニケーションを取れていたのが、間に他の従業員を挟むようになります。
阿吽の呼吸で伝わっていたはずの指示が、なぜかうまく伝わらない。
創業当初からのメンバーと、新しく入ったメンバーとの間で、仕事への価値観にズレが生じ始める。

こうした「見えない壁」が、ささいな誤解や不満を生み、やがては大きな労務トラブルへと発展していくのです。
ルールによる管理は、経営者の孤独な戦いを終わらせ、組織を次のステージへ進めるために不可欠なのです。

【義務編】従業員10人以上で絶対に必須となる2つの手続き

それでは、具体的に何をしなければならないのか。
法律で定められた、避けては通れない2つの義務について解説します。

1. 就業規則の作成と労働基準監督署への届出

まず最も重要なのが「就業規則」の作成と届出です。
就業規則とは、いわば「会社のルールブック」。
労働時間、休日、賃金、服務規律などを明文化したもので、会社と従業員双方を守るための大切な約束事です。

ここで経営者様が見落としがちなのが、従業員数には正社員だけでなく、パートやアルバイトも含まれるという点です。
雇用形態にかかわらず、常時10人以上の労働者を使用している事業場は、必ず作成し、管轄の労働基準監督署へ届け出なければなりません。

この届出を怠った場合、労働基準法違反として30万円以下の罰金が科される可能性があります。
しかし、罰則以上に怖いのは、ルールがないことによるトラブルの発生です。

2. 衛生推進者の選任

もう一つが「衛生推進者」の選任です。
これは、労働安全衛生法に基づく義務で、職場の安全や従業員の健康を守るための担当者を選任する制度です。

具体的には、以下のような役割を担います。

  • 職場の危険な箇所のチェック
  • 従業員への安全衛生教育
  • 健康診断の実施サポート

衛生推進者は、労働基準監督署への届出義務はありませんが、選任後はその氏名を社内に掲示するなどして、従業員へ周知する必要があります。
多くの経営者様が「名前だけ選任」で終わらせがちですが、この担当者が機能することで、労働災害を未然に防ぎ、従業員が安心して働ける環境づくりにつながるのです。

【リスク管理編】社労士が見てきた「10人の壁」で頻発する労務トラブル事例

法律上の義務を果たさないと、どのようなリスクが現実のものとなるのか。
私がこれまでにご相談を受けてきた、生々しい事例を3つご紹介します。

事例1:曖昧な労働時間管理が招いた「未払い残業代請求」

「うちは年俸制で、残業代は給与に込みだから大丈夫」。
そう思い込んでいたIT企業の社長様のもとに、ある日突然、退職した元従業員の代理人弁護士から内容証明郵便が届きました。
請求額は、過去2年分さかのぼった未払い残業代と遅延損害金で、合計300万円以上。

タイムカードはなく、勤怠管理は従業員の自己申告に任せきり。
就業規則にも、残業に関する明確な規定はありませんでした。
口約束や「暗黙の了解」がいかに無力であるかを、痛感させられた事例です。

事例2:社会保険の未加入が引き起こした「従業員の不信感と退職ドミノ」

「もう少し会社が大きくなったら加入しよう」。
そう考えて社会保険の加入を先延ばしにしていた建設業の会社様。
ある時、エースとして期待していた若手社員から、突然の退職届が提出されました。

理由を尋ねると、「将来が不安だから」と。
彼が転職を決めた先は、同業のライバル企業でした。
この一件をきっかけに、他の従業員にも動揺が広がり、立て続けに3人が退職。
社会保険への加入が、従業員にとって単なる福利厚生ではなく、会社の信頼性そのものであることを示す事例です。

事例3:ルールなき故の「問題社員対応」の失敗

勤務態度が悪く、他の従業員と頻繁にトラブルを起こす社員に、どう対応していいか分からない。
そんなご相談を、ある飲食店のオーナー様から受けました。

注意をしても態度が改まらず、最終的には解雇を考えたものの、就業規則に懲戒に関する明確な規定がありませんでした。
不当解雇で訴えられるリスクを恐れ、結局、有効な手を打てないまま。
結果として、真面目に働いていた他の従業員のモチベーションが下がり、お店全体の雰囲気が悪化してしまいました。
就業規則は、企業秩序を守るための武器にもなるのです。

【攻めの労務管理】企業成長を加速させるための次の一手

義務やリスク管理は、いわば「守りの労務管理」です。
しかし、従業員10人の節目は、さらに企業を成長させる「攻めの労務管理」を始める絶好の機会でもあります。

就業規則を整備して「助成金」を活用する

実は、整備された就業規則は、多くの助成金の申請要件になっています。
例えば、パートタイマーを正社員に転換した際に活用できる「キャリアアップ助成金」などが代表的です。

私の顧問先でも、就業規則や賃金規程を見直すことで、年間で数千万円単位の助成金を受給し、それを新たな設備投資や人材採用に充てている企業様がいらっしゃいます。
労務管理はコストではなく、企業の成長資金を生み出す未来への投資になり得るのです。

シンプルな「人事評価制度」で従業員のやる気を引き出す

従業員が10人を超えると、「誰を評価し、どう処遇するか」という新たな悩みが出てきます。
社長の感覚だけに頼った評価では、従業員の不満が溜まりかねません。

大企業のような複雑な制度は必要ありません。
「会社の目標達成にどう貢献したか」というシンプルな基準で評価する仕組みを作るだけで、従業員の目標意識は格段に高まります。
評価基準が明確になることで、従業員は「何を頑張れば良いのか」が分かり、モチベーション向上と定着率アップに繋がった成功事例を、私は数多く見てきました。

よくある質問(FAQ)

Q: 就業規則を作成する際、パートやアルバイトの人数も含まれますか?

A: はい、含まれます。
正社員、契約社員、パート、アルバイトなど雇用形態にかかわらず、常時使用している労働者が10人以上の場合、就業規則の作成と届出の義務が発生します。
これは多くの経営者様が見落としがちなポイントですので、特にご注意ください。

Q: 就業規則は一度作れば、ずっとそのままで良いのでしょうか?

A: いいえ、法改正への対応や会社の実情に合わせて、定期的な見直しが必要です。
特に労働関連法は頻繁に改正されます。
15年の実務経験上、少なくとも3年に一度は見直し、必要に応じて変更届を提出することをお勧めします。

Q: 衛生推進者は誰でも選任できますか?

A: 誰でも選任できるわけではありません。
大学卒業後1年以上の実務経験、高卒後3年以上の実務経験、または5年以上の実務経験など、一定の要件を満たす必要があります。
もしくは、指定の講習を修了した者を選ぶ必要があります。
詳細は管轄の労働局にご確認ください。

Q: 労務管理を社労士に依頼するメリットは何ですか?

A: 専門家として、法改正への迅速な対応、労務トラブルの未然防止、そして助成金活用など経営にプラスとなる提案が可能です。
何より、経営者様が煩雑な労務管理から解放され、本業に専念できる時間が生まれることが最大のメリットだと、多くの顧問先様からお声をいただいています。

お住まいの地域や事業所の場所に合わせて専門家を探すことも重要です。
例えば、杉並区で社労士をお探しであれば、給与計算や労務管理に特化した事務所が頼りになります。

Q: 従業員が10人未満でも就業規則を作成するメリットはありますか?

A: はい、義務はなくても作成するメリットは非常に大きいです。
労働条件や服務規律を明文化することで、従業員との認識のズレを防ぎ、無用なトラブルを未然に防ぐことができます。
企業と従業員双方を守るルールとして、早い段階で整備しておくことを強く推奨します。

まとめ

従業員10人という節目は、労務管理のあり方を根本から見直す絶好の機会です。

本記事でお伝えした「就業規則の作成」や「衛生推進者の選任」といった義務への対応はもちろんのこと、その先にある「リスク管理」と「攻めの労務管理」にまで目を向けることが、企業の持続的な成長には不可欠です。

15年以上の社労士経験から言えるのは、労務管理は単なるコストや手間ではなく、従業員が安心して働ける環境を整え、企業の未来を守るための「投資」であるということです。

まずは自社の現状をチェックすることから始めてみてください。
それが、10人の壁を越え、さらに飛躍するための確かな一歩となります。

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